建築業界の偉人

日本で建築と言えば、間違いなく1930年代前後のことを語らなくては話にならないのですが、その中で祇園閣は、大倉財閥の創始者大倉喜八郎が、隠居所として建てた別荘「真葛荘」に由来し、1927年に竣工したわけですが、設計を担当していたのは伊東忠太です。

この伊東忠太は、日本の建築界を築いた人物でもあり、明治から昭和にかけての建築界の権威として知られています。

他に平安神宮や明治神宮など多くの設計に携わっており、大倉喜八郎は、伊東忠太に対して、当初、金閣、銀閣に次ぐ銅閣の設計を依頼します。

その内容は、傘が逆さまに開いた形という奇抜なものであったらしく、あまりに斬新過ぎたためか伊東は実現困難であるとして断ります。

これに変わる案として提案されたのが祇園祭の鉾で、一年中鉾が見られのというのも、楽しいだろうという発想でしたが、銅閣の夢は忘れられず、屋根は銅葺きにするよう頼んだという事です。

築地本願寺を設計した建築家というのも伊東忠太博士でして、関東大震災で崩壊した本堂の再建にあたって、古代インド様式を取り入れて設計したものです。

1867年11月21日から1954年4月7日 は明治~昭和期の建築家、建築史家でして、米沢生で産声をあげ、少年時代を東京の佐倉で過ごすし、帝国大学工科大学を卒業知るわけですが、帝国大学工科大学は現在の東京大学になります。

そして、工学博士となり東京帝国大学教授となったわけですが、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始したわけでして、「建築進化論」を唱えて、それを実践するように独特の様式を持った築地本願寺などの作品を残してきました。

1943年には建築界ではじめて文化勲章を受章した人物でもあります。

住宅パース・プレゼン・外観・内観・インテリア営業支援ツールの専門店・全国対応いたします。店舗建築パース

新しい太陽光発電の可能性は、本当に未知数です。太陽光発電は環境問題

建築は芸術なのです

現代では、建築パースと言う技術が発展してCGソフトなどが主流になり、建物予想図など簡単に描くことが出来る時代になっていますが、これまで建築界で活躍してきた人物や歴史を知らないことには、本当の意味で自分らしさと言うものは生まれてきません。

伊東忠太博士をしらないようでしたら、今からでも知っておく必要がありますし、学ぶべきことが多いと思います。

3DCGを使用して誰もが同じような建築パースを描かれても、感動することはないでしょうし、建築と言うのは芸術なわけですから、本来は個人の独自性がないことには出来ない仕事であったわけです。

当時の技術を学ぶことは、絶対に無駄になることはありませんし、むしろ今後の仕事に良い影響を及ぼしてくれることは間違いないです。